テレビや新聞などで気になるのは、企業ばかりではなく人間さえも無理やり「勝ち組」「負け組」のいずれかに当てはめようとする風潮が強いのではないかということです。
某トヨタは勝ち組、某三菱自動車は負け組で、六本木ヒルズに住む人は勝ち組で安アパートに住む人は負け組などと多くの人の眼には映るのかもしれません(○○ヒルズと言うのは、いかにもL.A.にある地名から取っていて××趣味に聞こえるのは私の妬み?)。逆に負け組と呼ばれることでハングリー精神がつくよい面もあるかもしれませんが、当事者全てが第三者と同じように自分を勝ち組、負け組だと考えていないでしょうし、どうしても勝ち組、負け組の考え方には馴染めません。
株式を公開している企業は勝ち組、負け組と株主に言及されても仕方のないところもあって、会社の利益が多いに越したことはないのも確かだけど、その前にお金には代えられない人間(従業員)の幸せや価値観といったものがあると思うんです。
世界的に個人の株式取引が増え、個人株主が企業を長期的な投資先としではなく短期間の投機対象として捉えているケースが多いために、勝ち組、負け組とハッキリと区別したがる風潮が強くなったのかなあと考えたりもしますが、それよりも勝ち負けの発想はテレビゲームの世界が大きく影響しているような気がします。
大企業は不況から脱け出して、未だに不況から抜け出せずにいる中小企業が多いと報道され、勝ち組=大企業、負け組=中小企業という構図を経済評論家が語ることが多いように感じますが、勝ち組や負け組のいずれにも属さない、中間に位置する「勝手にやってくれ組」みたいな分類があってもよいのではないでしょうか。もちろん利益が出なければ給料も出せないのだから、赤字垂れ流しの経営者は失格だと思いますけど。
昨日メキシコの社長の給料について書いたんですが、日本人の眼には貧しいと感じるメキシコ人でも毎日家族と生活を楽しんでいることが多い事実を伝えたいです。
しかしNAFTA発効以降、メキシコ国内の物価上昇や安い輸入品(特に農産品)の増加などからアメリカに出稼ぎに出るメキシコ人が増えていて、年間(記憶では)約300人のメキシコ人が脱水症状などから国境沿いの砂漠で亡くなっているのは残念で仕方ありません。NAFTAが発効されてから商品の選択肢が増えたのは喜ぶべきことかもしれないけど、2005年冬に読んだ雑誌にはクリスマスパーティの費用を捻出するのが厳しくなったとこぼすお母さんの記事が掲載されていてました。これはNAFTAが発効して10年経ったのでNAFTAの是非を問う特集の中の一記事でしたが、先進国入り=メキシコ人の幸せとはならないと信じていて(実際私の知るメキシコ人はそうでした)、個人的にはメキシコが先進国入りしないことを願うばかりです(メキシコが先進国と呼ばれるまで私たちは生きていないと言う知人もいましたけど)。
日本も幸せに対して幅広い価値観が認められる時代になっているようになったと思います。
さて私と言えば、世の中に流されず自分のアイデンティティを持ち続けたいなあと思う今日この頃です。