1年と10ヶ月しかメキシコで働いたことがない私ですが、雑誌「日経ビジネス(2005年11月28日号)」の「レクサス」特集を読んで、日本企業(人)が海外に進出する厳しさをあらためて考えさせられました。
レクサスと言うブランドは、アメリカではかなり浸透していて、顧客満足度などの統計で2位に大差をつけて圧倒的に首位である場合がほとんどです。しかしレクサスは、メルセデスベンツと言った高級車と同じ位置付けではなく、「日本車(=壊れにくい)」と言うカテゴリの中でも品質面への信頼性がダントツに高いと言うのが一般的なアメリカ人のイメージであることが多いようで、高級車ブランドとなるにはまだまだ時間が必要なのかもしれません。
トヨタ自動車は積極的に現地生産を進めていると言う認識だったのだけど、アメリカで生活してから、ほとんどのトヨタ車はアメリカで生産されていても、レクサス車は全て日本から輸入(日経ビジネスによれば記事執筆時には一部車種をカナダで生産しているらしい)していることを知りました。つまり海外生産で品質条件を満たすことの困難さと、日本人のモノ作りでの完成度の高さや強さを知った訳ですが、大国アメリカでトヨタ自動車でさえ現地生産を進められずにいる現状は、その原因や背景を考えると大変興味深いとは思いませんか。
2003年夏に日本の卸問屋の依頼で、他社の中規模工場で秋冬物の靴生産のコーディネートをすることになったのですが、日本からの要求を満たすために、ちょっとした変更を加えると生産に支障をきたしてしまい、サンプル作りさえ仕様面で指示通りに進まず、しかも納期も遅れてしまい、酷いストレスとなったことがあります。この頃、NHKのプロジェクトXを見ながら日本人がいかに器用であるか、日本人のモノ作りの完成度の高さを実際に知りました。
同時に日本では取引先から無理難題を押し付けられて泣いている人が多いのではないかと想像したのですけど、帰国して100円ショップに足を運べば4〜5年前には信じられない品質の商品が100円で売られているのに驚きました。世界的に見ても日本人のモノを選ぶ眼は高いのは確かですが、日本の生活費が高いのは日本人が求める品質を満たすために商品の値段が高くなると言うこともあるのではないでしょうか。企業としては、商品が売れなければ経営が成り立たないのですから、避けては通れない道ですけど、企業努力を考えると正直複雑な心境です。発泡酒の税率が上がり、今度は第三のビールの税率まで上げようとしている政府に怒りを覚えるのは私だけでしょうか(高税率のためビールさえ高くて満足に買えないのは先進国として悲し過ぎます。参照:アメリカのビールの安さ」「セルベッサ - メキシコの不思議」)。支出として削減できる部分があるのに関わらず、一律に消費税も上げようとする政府の傲慢さは理解できません。
話が逸れてしまいましたが、実を言うとEIKIの工場も毎日が戦場のようでした。
メキシコ人(職人)のモノ作りの価値観は、職人としての自分にプライドを持ち、自分が見とれてしまうような芸術的な作品を作ることにあります。幸いEIKIのウェスタンブーツは芸術的センスが求められるため、職人も自分の技量に酔いしれながらブーツを作っていましたが、前述の他の工場で働くメキシコ人は、私のメキシコ人のイメージ(=陽気、人生を楽しむなど)ではなく、まるで死んでしまったかのようなイメージを持つことしかできませんでした。メキシコでは音楽を流しながら仕事をしていることが多いのに、その工場では音楽もなく、黙々と靴を作っているだけでしたから。
工場で黙々と働く中国人をテレビで見てから、大量生産はアジア人の強み(極端に言えば「アジア人しかできない」)だと考えていて、後進国のメキシコでさえ日用品の多くが中国製でした。しかもメキシコ資本の大企業でさえスリッパをベトナムで生産していることを知った時は、メキシコ経済や労働問題のことを考えてかなりショックでしたが、メキシコ人もアジアには大量生産では勝てないと判断したと、ベトナム製のスリッパが語っているようでした。
メキシコは、法律的には問題がなくとも不当な給料で働いている人も多いのが実情です(参照:「社長の平均月収」)。
お金に困り死を覚悟してアメリカとの国境を越えるメキシコ人の跡を絶たないけど、ほとんどのメキシコ人はお金だけに価値観を見出すこともなく、黙々とロボットのように働くことを嫌います。もちろん中にはお金に大きな価値感を持つ人もいるけど、そういった人はほとんどが経営者です。メキシコで働いてみて感じたのは、(日本企業がメキシコに進出する際には特に)メキシコ人のプライドを満たし、楽しんで働ける環境作りが必要だということでした。グローバル経済の流れを考えると、実現は夢なのかもしれませんが、もう一度機会があれば取り組んでみたい課題です。