韓国ソウルのインサド近くの郵便局の建物の二階で井戸端会議(?)をしている軍人を発見。
韓国人の友達に、なぜ軍人が郵便局に上にいるのか、何をしているのか聞いてみたけど「分からない」との回答。謎です。
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韓国ソウルのインサド近くの郵便局の建物の二階で井戸端会議(?)をしている軍人を発見。
韓国人の友達に、なぜ軍人が郵便局に上にいるのか、何をしているのか聞いてみたけど「分からない」との回答。謎です。
2006年1月23日(月)、ライブドアの堀江氏が逮捕されました。
堀江氏の東京拘置所に入るまでの放送を見ていたら、3年B組金八先生 第2シリーズで加藤と松浦が逮捕されたシーンを思い出し、中島みゆきの「世情」が頭の中で寂しく流れていました。
なかなか更新できずに新年を迎えましたが、友達に会うためと大好きな韓国料理を食べに韓国に行ってきました。
韓国料理に出会ったのは学生だった20歳のことで、ロサンゼルスに住んでいた間は韓国人の友達が彼の両親が経営するお店の残り物のキンパ(韓国式海苔巻き)やカルビスープを持って来てくれたり、自分でも韓国系マーケットでキムチを買ったりと、いつの間にか生活に欠かせない食事となっています。
韓国に行ってぜひ食べて欲しいのは冷麺。日本では美味しい冷麺が少ないからですが、日本の麺と韓国の麺は全く違います。
日本での韓国冷麺のイメージはゴムみたいと言うのが一般的だと思うんだけど、韓国の冷麺は手打ちが基本で、噛むことを意識することなく日本の「うどん」のようです(韓国にもうどんはあるんですけど)。
今回冷麺を食べたのはロッテデパートの上にあるレストランですが、3泊4日の滞在で2回も食べてしまいました。しかもお水と一緒に付いてくる冷麺スープ(温)がマシソヨー(美味しい)。お勧めです。
残念ながら、美味しすぎて食べるのに夢中になってしまったため冷麺の写真を撮り忘れてしまいましたが、韓国舞踊を観覧する機会がありました。
美味しい韓国料理に大満足だった私は、早くもまた韓国に行きたくて仕方ありません。
インターネットに出会った1995年暮れから、「ホームページ」と言う言葉を読んだり、聞いたりする度に、気になって仕方ありません。
日本でホームページはウェブページを総称したものとして使われていますが、本来ホームページとはウェブサイトの最初のページ、つまりウェブサイトの表玄関にあたるページを指します。例えば
http://www.az-net.com/
や私のブログ
http://www.az-net.com/que_paso/
にアクセスして表示されるページをホームページと呼ぶことはできても、メキシコ・カテゴリ(ページ群)である
http://www.az-net.com/que_paso/mexico/
で表示されるページはホームページではありません。
ホームページと言う言葉があまりにも一般化しすぎてしまったため、クライアントの方とお話しする際にホームページをウェブサイトやサイトなどと読んでもピンと来ない方が多く、妙に意固地なところがある私はホームページと言う言葉を使用する度に自分を殺すしかありませんでした。
そんな私でも、何とか自分を納得させて最近はホームページと言う言葉を違和感なく使えるようになりました。
が、しかし未だに自分の中で消化できず、日本人として恥ずかしいのはホームページを「HP」とすることです。全国紙でも「○○○社が△△△のHPを開設した」などと報道されていますよね。そんな記事を読む度に「ヤメテクレー」と心の中で叫んでしまう私です。
アメリカで生活してみて、カタカナ英語が日本人の英語上達に支障を来たしていることに気付いた私としては、「HP」はヒューレットパッカード(Hewlett-Packard)の略であり、英語圏では決してHPにホームページと言う意味はありませんし、辞書にも載っていません。
郵便で文書をやり取りしていた時代ならまだしも、苦労せずにNew York Timesのウェブ版を読める世の中で可笑しな使い方が浸透してしまうなんて...。あの「セレブ」しかり、日本国内だけで使用するんだから問題なんて考えはナンセンスです。
テレビでは「正しい日本語」を学ぶ番組が目立ち、日本人として国民全体の日本語習得に対する関心の高さを誇らしく思いますが、誤ったカタカナ英語を教えてくれる番組が放送されることを願わずにはいられません。
学生時代にワープロを使用したことはあっても、当時パソコンと言う言葉さえ知らなかった私がパソコンを購入したのは1995年11月のことです。
Windows 95の発売前に購入したため「Windows 3.1」からのパソコン利用歴ですが、とにかく通信販売用のカタログを作りたいと言う目的で、秋葉原のラオックスで店員さんの説明もよく分からないままIBM Aptivaを買った日のことを今でも思い出すことができます。
インターネットが普及していなかった1995年の日本は、円高と言う背景もあり海外の通信販売がちょっとしたブームになっていました。海外通販のマニュアル本が出たり、アメリカなどの有名通販ブランドが雑誌でも特集され、掲載されている英文の雛形を用いれば誰でも簡単に購入できると言った内容がほとんどで、当時日本にカスタマーセンターを置くアメリカの大手通販会社も少なくありませんでした。
しかし、実際は英語カタログの説明文を理解してFAXや郵便で商品を注文しなくてはならず、万が一トラブルが起きてしまうと電話やFAXで交渉しなくてはなりません(海外通販に一定の英語力が求められることは明らかでした)。
そこで日本市場に進出したい通販会社は必ず存在し、日本にカスタマーサービスセンターを置いて利用者の不安を取り除くことができれば、海外通販市場はもっと広がると考えた私は、1995年初夏、アメリカの通販会社約250社にビジネスメール(DM)を送り、円高やアメリカの通販会社は小規模なファミリー経営が多いこともあって予想を超える30社程の企業が関心を示してくれました。事前にDMのレスポンス率は3%程度という統計を読み、ましてや海外とビジネスをできるチャンスだと考えた私は、約30社が関心を示してくれただけで自分のビジネスが成功するかのように思えて、嬉しくて嬉しくて仕方ありませんでした。
「とにかく社長に会わないと先には進まない」と考え、同年9月に渡米して、好条件とは言えなくとも日本未進出の3社からビジネス条件を提示してもらっい、帰国して早速3社の市場調査も兼ねてサンプリング的に英語カタログを配布してみることにしました。そこで日本語の説明書作りのためにパソコンが必要になったのですけど、いざパソコンを使おうと思っても知識がないため、実際は一から学習しなくてはならず四苦八苦する日々でした。
そんな頃、友達からインターネットのことを教えてもらい、(こんなことを言うと馬鹿にされるでしょうが)日本からNew York TimesのWebサイトやFax版を読むことができたり、メキシコのグァナファト大学のサイトに接続できた時は、まるで自分がアメリカやメキシコにいるようで本当に感動しました。そこでインターネットの無限の可能性を感じた私は、アメリカの通販会社が直接日本の消費者に接することが容易になり、現地に日本語で対応できる従業員がいれば、わざわざ日本にカスタマサポートセンターを置く必要性は低くなると考え、結局カタログをサンプリングするだけで、早々と海外通販関連のビジネスの可能性を否定してしまいました。
ちなみに当時「Bargain America(www.bamerica.com)」がアメリカの通販会社のショッピングモール事業を始め脚光を浴びましたが、現在は会社自体が売却され、別の事業を行っているようです。